ふだんの不調和を「コロナ下の環境」が悪化させる
たろけんです。
過去記事にも書いた通り、わたしの勤務病院で新型コロナのクラスターが発生しました。
そこから終結宣言まで2ヶ月弱。やっとのことでふだんの日常生活に戻れる。。と思ったその矢先、実は「コロナうつ」の症状が出始めていました。
とても強烈な体験だったため、いま振り返ると「うつ」というよりは「パニック障害」や「適応障害」的な要素が強かったかもしれません。
ただ、これは長年現場で働いているスタッフだからわかることですが、大事なのは病名ではなく、本人がメンタルの不調をどう感じ、どう向き合えるか、ということ。
今回はそうした切り口で、数回にわたり「コロナうつ」になりかけた過程と、そこから回復するまでをシェアしてみたいと思います。
落合陽一「コロナ自粛とメンタルクライシス」が示唆していた事
わたしは精神科スタッフ兼ライターであるため、新型コロナウィルスの脅威がメンタルにどんな影響を与えるのか、という点に興味を持ってきました。
中でも、2020年の5月に配信された【WEEKLY OCHIAI】の「コロナ自粛とメンタルクライシス」というテーマで行われた専門家によるディスカッションは、とても興味深いものでした。
特に、陸上自衛隊員のストレスコントロールを専門にしてきた心理カウンセラー 下園壮太氏が紹介した「蓄積疲労の3段階」という一枚のパネルが目を引きました。
これは、新型コロナウィルスに限らず、精神的ショックを受けた人間の蓄積疲労がどんな段階をたどるかを解説したもの。
図の1段階目にあたる「通常疲労」では、”不眠”や”食欲不振”など、その影響が主に体調にあらわれることがわかります。
(波打つ矢印は、回復過程の一進一退する様と、回復までにかかる時間を視覚的に表しています。)
ふだんの疲労「+α」に要注意!!
次の”2段階疲労”は、ふだんの疲労に加えて「子育て」や「介護」などの疲れが加わることで、疲労がさらに深くなった状態。この状態になると、回復するまでの時間が通常疲労の2倍かかるとのこと。
問題はその次の”3段階疲労”で、ここまで来ると回復までの時間が通常疲労の3倍では効かなくなるほど、長引いてしまうのだそう。
つまり、疲労というものはどんな形であれ、早めに手を打たなくてはならないということなんですね。
ちなみに、今回のわたしは一時的に3段階疲労の下部にあたる「仕事を辞めたい・行きたくない」段階まで急速に落ちていくことになりました。。
本当に怖いのは、コロナ下で表面化する「負の人間関係」だった
仕事柄、ストレス対策には十分気をつけてきたわたしですが、今回はクラスター終結宣言の一歩手前でズドーンと落ち込むことになりました。
これはよく言われるように、終わりが見えてきたことで緊張の糸がプツリと切れたこととも関係していると思います。すると、不調が一気に表面化するわけですね。
ただ、クラスター下で最もしんどかったのは、「負の人間関係」の表面化とでもいうべき事態でした。
シビアなことを言うようですが、非常事態をきっかけに強い団結が生まれるのは、ふだん何となく好意を抱いている相手のみ。つまり、考え方や価値観に共感できるもの同士のみ、です。
反対に、常日ごろ敵対している相手や、不信感を抱いている相手の場合、非常事態下ではまず関係性は悪化をたどります。。
「コイツの仕事のやり方、イラつくなぁ〜」
「なんでこんなことを言ったり、やったりできるんだろ?」
なんて、ふだん心の中で思っていたことが、強いストレスがかかることで隠しきれなくなってくるのです。
同時に、ふだんからモラルを欠いているスタッフの言動もさらに過激になっていきます。
過剰なストレスが脳の前頭前野の機能をストップさせ、「不適切な行動を抑制する」機能が働かなくなる。 脳神経科学者の青砥瑞人氏によれば、これは「心理的危険状態」と呼ばれる状態なのだそう。
まさに、これこそがコロナクラスターにともなう真の恐ろしさでした。
その結果、現場で起きたことは。。
- クラスター発覚の翌日から職場にこなくなる
- 異動希望を出して他部署へ逃げ出す
- 敵対していた管理者の足を露骨にひっぱり始める
- ふだんからネガティブだった人が、抑うつ状態に
- 他病院の助っ人スタッフが、「これだからダメなんだ」とマウンティングを始める
などなど、残念な事例は数え上げればきりがありません。
志を同じくするスタッフたちとの、静かな結束
わたしもクラスター中はだいぶ口が悪くなりました(笑。
モラルを欠いたスタッフへのイライラが抑えられなくなっていたんですね。
その反面、志を同じくするスタッフとは暗黙のうちに強い絆が生まれていることに気づきました。
医療従事者とはいえ、それぞれに事情を抱えながら働いているものです。自己犠牲を強いられて当たり前、というわけではありません。
高齢者や幼児と同居している人、家族が重病を患っている人、免疫抑制剤を服用している人。
それでも与えられた役割を果たさなければならないのです。
わたし自身はこの危機を「逃げてはならない人生の試練」と感じていました。
われ先にと逃げ出すスタッフたちがいる中、自分はどんな態度で臨むのか?
大げさに言うなら、これまでの人生から問われているような気持ちになったんですね。
わたしの場合は、後からふり返った時に「あの時、パパは逃げなかったよ。」と子どもたちに言える自分でありたい。そう思ったわけです。
あえて口に出す者こそいませんでしたが、黙々と働きつづける同僚たちからもそれぞれの強い覚悟を感じました。
ついに「先の見えないストレス」に打ちのめされる
そうして、1ヶ月半が経ちました 。陰性者が日増しに増えていき、他病院に搬送されていた患者さんも続々と戻ってくるようになりました。
ようやく、希望の光が見えてきたのです。
そして、クラスター終結宣言まであと一歩というある日、それは起きました。
退職したスタッフの補充のため、他病棟から異動がありました。そのスタッフこそ、かつていわれのない不祥事をでっち上げて、わたしを貶めようとした人物でした。
唯一救いがあったのは、その陰湿さを同僚たちもよく知っていて、警戒していたことです。
ところが、ある日の仕事終わりに軽く声をかけた所、猛烈な他スタッフへの批判と愚痴を浴びることになりました。
ふだんならこういう相手を適当にいなすわたしですが、この時ばかりは疲れていたこともあり、途中で話を切ることが出来ませんでした。
結局、2時間もの間ネチネチとした愚痴を聞かされたわけですが、その時に感じたのは
「コロナが去って、代わりに来たのがコイツかい。。終わりが見えないな、こりゃ。」
ということでした。
その時に感じた「終わりのない災厄」というイメージに、急激にメンタルが侵されていったのです。
「イカれた悪夢」にメンタルを持っていかれる
1ヶ月半にわたって強いストレスにさらされ続けた挙げ句、この出来事は最後のダメ押しになったようです。
これまで感じたことのないような重い疲労が、首から肩にかけてのしかかるのを感じました。
その日の夜、ひどい悪夢にうなされました。
詳細は覚えていないものの、ジャングルをさまよった挙げ句、野菜ジュースで懸命に顔を洗っている自分に気づいてハッと目が覚める、というイカれたものでした。
真っ暗な部屋で目を覚ました私は、夢と現実の区別がつかずに混乱しました。
「このまま本当に正気を失ってしまったらどうしよう。。」
「自分のしていることがわからなくなってしまったら??」
そう考えるとどうしようもなく恐ろしくなり、暗闇の中でひとりもがきました。
隣には子どもたちと妻が寝ていましたが、急にワケのわからないことを言って起こしたりすれば、本当に常軌を逸したように彼らの目に映ることでしょう。
わたしは闇の中、ひとりで完全に行き詰まってしまったのです。
急速に狭まっていった脳の「認知機能」
夜明けまで深呼吸やストレッチを繰り返しながら、なんとかその夜をしのいだものの、翌日の午後になるまで妻にメンタルの不調を訴えることができませんでした。
自分の中で混乱に区切りがつけられないうちは、誰かにそれを告げることもできないのです。
なぜ、うつを患って自殺する人間は周りに苦境を告げられないのか?
その心理状況の一端が、今回はじめて分かりました。
脳の認知機能が急速に狭まった結果、自分の状況を俯瞰して見られなくなるんですね。
そうなると、あらゆるものが途端に色あせて見えてしまうのです。
その証拠に、わたしは混乱のさなか、ふだんならテンションが上がるものをなんとか思い浮かべようとしました。美味しい食事や、手に入れたかったグッズ、行きたい場所などなど。。。
ところが、そのいずれもが灰色に塗りつぶされたように感じられ、まったく心に届きませんでした。まるで、頼みの綱がすべて意味をなくしてしまったかのように。
”最強のストレス解消法”が封じられた結果。
考えてみると、コロナクラスターが発生して以来、わたしは最強のストレス解消法であった”スパ通い”を自粛していました。
居心地のよいスパの露天風呂にゆっくりと浸かり、風を感じながら周りの緑を眺める。
体が温まってきたところでサウナに入り、大量の汗をかいて冷水に浸かる。
それを繰り返すことで、体に溜まっていた悪いものをすっかり吐き出している気分になっていたのです。
それが封じられて吐き出し先を失ってしまったことが、メンタルの堰の決壊へとつながったのでした。
そして、10年間の勤務で初めて「もう二度と出勤できないかも。。」と、職場に戻るのが耐え難い苦痛になってしまいました。
次回へとつづく。