精神科ではたらくフリーライターのブログ

閉鎖病棟の看護助手兼フリーライターが日夜カラダを張ってお届けする、メンタルヘルスのお役立ち情報です。

【コロナ失業】しちまった。。大ピンチにこそ効く『読むだけで心を守る』名著をご紹介。

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”発想の大転換”へとみちびく、ひろさちやの『狂いのすすめ』

 

今、いろんな業種の方々が苦しんでますよね。

あらゆる業界が規模縮小を余儀なくされたり、廃業の危機を迎えています。

 

ヤバい、ヤバい!

なんとかしなくちゃ、間に合わなくなる!!

 

言葉にならないそんな思いが、そこかしこに飛び回っているのをヒシヒシと感じます。

 

特に、精神科のスタッフとライターという全く異なるダブルワークをしていると、

業種によって明暗がハッキリとわかれているのを痛感します。

 

わたしの場合、

 

「早くやめて独立したい。。」

と考えていた精神科の仕事はほぼダメージを受けず、

 

「これでやっていくしかない!」

と気負っていたライターの仕事の方は、いま壊滅的状況となっております。。

 

当分の間は精神科の仕事に頼りつつ、なるべく経費をかけずにライター業再開の準備をする予定です。

 

それは「生活の危機」であって、「人生の危機」ではない。

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 かつて12年前のリーマンショックの際に、職を失ったことがあります。

 

景気の悪化によって大広告主が雑誌に広告を出さなくなり、勤めていた小さな出版社がつぶれてしまったのです。

 

ライター経験が浅かっただけでなく、出版業界はどこも求人の大幅な縮小をしていたため、求職先にはすべて断られました。

 

そんな状況にも関わらず、ビジネス脳が未熟なわたしは「やりたくないことはやりたくない」という姿勢を貫いたため、生活に困窮することになりました笑。

 

その結果、先の見えない肉体労働の日々に突入。

慣れない仕事で年下のバイトくんにどやされ、夜中に激しい筋肉痛で目が覚めてしまう日常がやってきました。

 

ほんの数ヶ月前まで、すべてが順調にいっていたはずなのに。。

 

そんなやりきれない思いの中で、ふと手にとった本。それが当代きっての仏教思想家、ひろさちや氏の「狂い」のすすめ /集英社/ひろさちやでした。

 

ひろさちや氏がわたしたちに「狂い」をすすめるロジック。

 

それは、

 

今の時代、「正常であること(=常識)」 こそが狂っているんだから、常識の押しつけには従わない「狂者の自覚」を持って軽やかに生きようよ、というもの。

 

さもなくば、弱者は強者の餌食になるだけだよ、と。

 

これは、現在の状況にもよく当てはまりますね。

 

未曾有の事態に青息吐息でいるわれわれに対して、税金で潤沢な活動費を賄われている政治家が、「手をあげないヤツに、金はわたさんぞ!」とふんぞり返っている現実。

 

彼の存在こそが「正常な」はずの民意の総意なのですから、後は推して知るべし、です(笑。

  

さて。この本の中で、わたしが最初に目を拓かされた言葉を抜粋してご紹介したいと思います。

 

「人生の危機」と聞くと、ほとんどの人は病気をしたり、会社をクビになったり、大学受験に失敗したり、破産するといったようなことを考えるでしょう。

 でも、それは「生活の危機」であって、「人生の危機」ではありません。わたしはそのことにふと気づいたのです。

 

どうでしょう?これはスゴイ発見だとは思いませんか?発見であると同時に、発想の大転換をあざやかに成し遂げています。

 

さらに、このくだりは次のように続きます。

 

会社人間になって奴隷のような生活をしても、会社はそんなあなたを冷酷無比にリストラします。

あなたの「危機」は会社をリストラされた時点ではなく、あなたが会社に隷属する生き方を選んだ時点にあったのです。

 

ぼんやり感じていたことをズバリと言語化されて、わたしは思わず膝を打ちたいような気分になりました✨

 

たしかに、会社の倒産によって大不況のただ中にほうりだされ、採用される見込みも少ない。

これはピンチ中のピンチといえるでしょう。

 

でも。

 

この程度のピンチは、会社に隷属する生き方を変えない限り、何度でもやってくるのです。

 

ああ、そうか。会社にほうりだされたぐらいで自分を見失ってはいけないんだな。

 

わたしはそう考えることで、冷静に自分の状況を見直せるようになったのです。

 

 ポジティブな”あきらめ”が持つ、偉大な力 

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「あきらめる」って言葉は、嫌いな人が多いと思います。

わたしも「可能性を失う」という意味でのあきらめは好きではありません。

 

ですが”可能性を手に入れるため”の「あきらめ」があるとしたら、どうでしょう?

 

この場合のあきらめは、いわゆる「受け入れること」や「手放すこと」に近いのですね。

 

これは「精神科あるある」なのですが、入院前にとても苦しんで「ゼッタイに入院なんかするもんか!!」と言って周りを困らせる方がいらっしゃいます。

 

ところが、実際に入院してみるとふっと肩の力が抜けて、安らいだ表情に変わることが多いんですね。

 

わたしにはその気持ち、すごーくよく分かるんですよ。。。

 

なにしろ、

 

人が世間から受けている圧力って、じつは相当なものです。

 

「ちゃんと生きなきゃ!」

「周りの期待に応えなきゃ!」

 

そんな風に、誰もがなんとか体裁を保って生きようとしている。その結果、気づけば自分の首をしめていたりするわけです。

 

精神科の内側から見たそんな「常識の姿」ってある意味、暴力的なほどです。

 

それでは患者さんが入院後に見せる、ホッと安堵した表情の正体はなにか?

 

それは、もう世間の常識とムダに闘わなくていいという、開放感から来るものなんですね。

 

病棟内では周りの患者さんも私たちも、決して彼を「世間のものさし」で計ろうとはしません。

 

そして、この安堵感の中で本来のペースを取り戻せる人の回復は、とても早いのです✨

 

「かつての自分がのぞんでいた形」をあきらめることで、あらたな可能性を手に入れる。

 

ここには、そんな「回復のプロセス」が含まれているのです。

 

 

過去はすでに捨てられた。未来はまだやってこない。

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要するに、困窮している時がなぜそんなにも苦しいのかといえば、本来の自分とはかけ離れた「世間の常識」と闘っているからなのですね。

 

ひろ さちや氏は続けて、お釈迦さまの言葉を例に出します。

 

過去を追うな。未来を願うな。

過去はすでに捨てられた。未来はまだやってこない。

だから現在のことがらを、現在においてよく観察し、

揺らぐことなく、動ずることなく、よく見きわめて実践すべし。

ただ今日なすべきことを熱心になせ。

誰か明日の死のあることを知らん。

『マッジマ・ニカーヤ』

 

 その上で、今に生きることの実際を次のように表現するのです。

 

わたしたちはいつだって「現在」を生きているのです。

その「現在」をたのしむのが最高の生き方です。

でもね、楽しむといっても、それは面白おかしく笑いころげることではありませんよ。

泣いて苦しむ時は、泣き苦しめばいいのです。苦しみをたのしむことができれば、あなたの人生は最高の人生になります。

それが「現在」をたのしむということです。

 

つまり、仕事がないなら「仕事がない状況」にある人間として、堂々と今なすべきことに集中する。

決して卑屈になったり、まだ起こってもいないことをあれこれ悲観する必要はないのです。

 

だからわたしは、ライター仕事がなくなったお金をあわてて何かで補填しなきゃ、とは考えていません笑。

 

今までよりもずっと切り詰めることにはなるけれど、こんなタイミングだからこそ、時間をかけて本当に書きたかった等身大の記事を書いてみる。

 

結果がついてくるのか否か、そんなことは書いてからまた考えればいいのです。

 

そんなわけで。

 

この記事が苦しい状況にあるあなたにとって、少しでも役に立つものであれば嬉しいです。

お互い、肩の力を抜いて今に生きることにしましょうね✨

 

それでは、また。

たろけんでした😊!