あなたは「常識がくつがえされる瞬間」に耐えられるか?
先日、患部に触れることなく治療をおこなった十全治療院に行ったたろけんです😊
日々、いろいろな好転反応が出てきていますね。。
からだがとてもだるく感じたり、急に背中がギリギリと痛んだかと思えば消えていたり。
かと思えば、左手の指先が急にしびれてきたり。。
なにやら自分では把握できない動きが、内部でたくさん起きているようなのです。
そして、これは取りも直さず 今までの常識と非常識とのせめぎ合い でもあることがわかります。
正直言うと、わたしの中にも「これは好転反応じゃなくて悪化しているんじゃないか?」とか「本当にあの治療でよかったのかな。。」という疑念がふとよぎったりもするから笑。
ただし、一度の治療で判断するのは早計というもの。この変化が最終的にどこへ向かうのか、読者の方にキチンとお伝えできればと思っています😊
医学の本流は「生命力」へのアプローチにあり?!
さて。そんなわけで自分の体に予想外の反応が出てくると、マインドにも変化が起こるものらしく。
以前から妻が「これ、面白いよ!」とオススメしていた本をやっと読んでみる気になりました。それが「いのちの輝き」フルフォード博士が語る自然治癒力、です。
ご存知の通り、医学の領域ほど「エビデンス(科学的根拠)」が必要だと思われているものはありませんよね。
ところが、この本によれば、医学の本流とはそもそも科学的根拠に基づいた「エビデンス」にあるのではなく、「生命力」にアプローチすることだと主張します。
「エビデンスではなく生命力にアプローチ、か。。。」
この時点で、一般的な読者は半数以上が脱落することでしょう笑。
なぜなら、わたしたちの通常の感覚では「生命力」というキーワードがぼんやりとしすぎているわけですね。
絶対的信頼感を持つ「エビデンス」にくらべ、どちらにも転びやすい言葉のため「あやしい」という疑念が首をもたげてくるのです。
その証拠に、100年ほど昔には医学には3つの流れが存在していたといいます。
それが、
- ホメオパシー
- アロパシー
- 折衷医学
です。
ホメオパシーは症状を起こす原因物質をごく微量体内に摂取することで克服していく療法であり、アロパシーがいわゆる現在の西洋医学。折衷医学は一貫性のない治療法だったといいます。
つぎはぎだらけの折衷医学は論外としても、”レメディ”なる砂糖粒を服用させる「ホメオパシー」は、筆者もつい最近まで「とんでも療法」のひとつだと思っていましたからね。。w
そうなると、アロパシー(=西洋医学)以外に伸びしろがあるとはとても思えません。現に、歴史はそのとおりの動きをしてきたということになります。
第4の選択肢「オステオパシー」
ところが、その裏で第4の道を探っていたのがオステオパシーの創始者アンドルー・テイラー・スティル博士でした。
フルフォード博士はその概要をつぎのように語ります。
観察を続けているうちに、スティル博士はどんな病気の患者にもかならず骨格筋系の異常があることに気づき、循環系と神経系のアンバランスが症状を起こしているのではないかと考えはじめた。
それを解決するにはからだに手技をほどこして、ほどよい循環を取り戻せばいい。
スティル博士は人類に益する貴重な手法を見つけたことを確信し、その方法を「骨」と「病む」を意味するギリシャ語から「オステオパシー」と名付けた。
おぉ。。偉大なる発見の瞬間ですね✨
もちろん、この新手法もすぐには世の中に受け入れられませんでした。実際アメリカではアロパシーの医師団体に政治的にコテンパンに圧倒され、主導権を大幅にゆずることになります。
つまり。
スティル博士の「目」は、物事の本質を深く見通し過ぎたわけですね。上記もサラッと記述されているように見えますが、
「すべての病気は、骨格筋系の異常から始まる」と看破するだけでも、コレ大変な医療革命ですよ。
その上、その異常が循環系と神経系のアンバランスにつながり、症状としてあらわれている、というのですから、もはや天才の領域。。
とても凡百の医師に追いつけるような発想ではなかったのでしょう。
ただ、オステオパシーの素晴らしい点は、「手技」というごくアナログな手法で治療がほどこされるわかりやすさにあります。
本書にも多数の事例が紹介されていますが、フルフォード博士は手技によって骨を正しい位置に移動させ、西洋医学の医師がさじを投げた難治性の病気を次々と解決していきます。
オステオパシーの真髄は「エネルギー・ブロック」の解除にあり。
筆者が特に感銘を受けたのは次のくだりです。
まず、両手をつかって子どもの尾骨をゆるめた。尾骨がゆるむと、直腸呼吸反射が円滑にはたらくようになった。〜中略〜
その子はわたしの患者のなかでも手におえないほうだったが、それでもはっきりした改善の兆候を見せはじめた。呼吸がらくになり、深くなって、気分が落ち着いてきた。
だが、一番興味深かったのは、その子の言語能力が同年齢の子どものそれに近いほどに改善されたことだった。なんらかの精神障害をうたがっていた両親の心配は無用のものになった。 「いのちの輝き」本文より抜粋
いやぁ〜、精神科の問診を知っていると、現在の治療現場はこれに比べると未開部族並みかもしれませんよ。。
なぜなら、閉鎖病棟でのドクターは週にたった一度、長くても10分程度の問診ですべてを判断し、薬の調整を行っているのが現実だからですね。
そして、これを飲めば「良くなるから」と。
ただ、これは何も彼らが「手を抜いている」という批判ではありません。
そうではなく、仮にドクターが1時間以上かけて患者さんから情報を集めたとしても、西洋医学のメソッドでは治療につながらないからそうしているだけなのです。
現に、今の薬は昔と比べ物にならないぐらいよく効くようになったといわれています。不快な症状の緩和に、薬物療法が大いに役立っていることは疑いの余地はないのです。
そうした現状に対するフルフォード博士流の答えは次のようなものです。
医師としてのわたしの目標は、患者がエネルギー・ブロックを解除する作業を手助けすることにある。というのも、エネルギーが開放されて流れるようになりさえすれば、からだは自然に治癒のプロセスをたどり始めるからなのだ。
残念なことに、ほとんどの医師はそのことを信じていない。その結果、現代医学は危機に直面している。人間を科学研究の対象としか考えていないから、症状を一方的におさえつけようとする。
これってまさに、「西洋医学の限界」として語られる内容そのものですね。
科学では説明しきれない人間の側面。そこに医療のプロであるドクターが目を向けられなければ根本的な治療にはつながらないのだ、と。
そしてフルフォード博士は、科学から得られた知識を捨てず、もういちど人間を霊性、精神性、身体性からなる「ひとつの全体」としてとらえることがわれわれの時代の責務である、と説きます。
それに気づいた時、患者はもう解決すべき問題をかかえる人、抑えつけるべき病気を持つ人としてではなく、身体的・精神的・霊的な次元でのバランスを回復するために助けを必要としている人としてみなされるようになる。
断言するが、そこにこそ現代科学が進むべき方向がある。
いやぁ。。。実にシビレますねぇ✨
断言しますが、この方ホンモノの天才ですよね笑
医療を根底から変えるとはすなわち、「病気の意味を捉え直すこと」に他なりません。筆者が勤務する精神科であってもそれはまったく同じです。
そこには薬や拘束具でおさえつけるべき病気があるのではなく。必要なのはバランスを回復するための「視点」であり「技術」なのでしょうね。
こうした考え方が存在することを知るだけでも、精神科のスタッフとしては救われる部分があります✨
そんなわけで。機会があれば、この本をもう少し深くご紹介したいと思います。
それでは今日はこのへんで。
たろけんでした😊!